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高松高等裁判所 昭和53年(ネ)53号 判決

控訴人 左古武男

右訴訟代理人弁護士 林一宏

同 岡崎永年

被控訴人 企業組合 東山温泉

右代表者代表理事 竹田繁

右訴訟代理人弁護士 藤原周

同 藤原充子

主文

本件控訴を棄却する。

ただし、原判決別紙図面を本判決末尾添付図面のとおり改め、原判決主文第三項中「イ、ニ、ホ、ヘ、ト、チ及びハ、ホ、ヘ、ト、チ」とあるのを「イ、ニ、ホ、ヘ及びハ、ホ」と訂正する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

(当事者の申立)

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

(当事者の主張及び証拠関係)

次のとおり訂正、付加するほかは、原判決の事実摘示と同じであるから、これを引用する。

一  訂正

1  原判決別紙図面を本判決末尾添付図面(以下図面という。)のとおり改める。

2  原判決二枚目表一二行目の「利用して」の次に「旅館業を営んで」を加える。

3  同五枚目表七行目の「しかるに、」の次に「別紙目録(一)、(二)記載の土地の所有権を取得した」を加え、同一二行目から一三行目にかけての「イ、ニ、ホ、ヘ、ト、チ」を「イ、ニ、ホ、ヘ」と、同一三行目の「ハ、ホ、ヘ、ト、チ」を「ハ、ホ」とそれぞれ改める。

4  同六枚目表六行目の「右」の次に「被控訴人の」を加える。

5  同七枚目表一三行目の「原告会社」を「被控訴組合」と改める。

6  同八枚目表八行目の「ハ、ホ、ヘ、ト、チ」を「ハ、ホ、ヘ」と、同「ニ、ホ、ヘ、ト、チ」を「ニ、ホ、ヘ」とそれぞれ改める。

7  同九枚目表六行目の「第二四」を「第二五」と改め、同七行目の「第一四号証、」の次に「第二四号証、」を加える。

二  控訴人の主張

1  原判決の事実認定には次のような誤りがある。

(一) 本件温泉権が土地所有権と別個に慣習上の物権として成立している旨の認定について。

原判決別紙目録(一)、(二)記載の土地(以下それぞれ(一)の山林、(二)の山林という。)の所有権は、既に主張した経過(原判決六枚目表末行から同七枚目表五行目まで)により、温泉付で、控訴人に帰属しているものであって、その経過から明らかなように、本件温泉権は、(一)、(二)の山林の所有者に属し、それ以外の者に属したことはなかった。そして、本件温泉は、湧出口が(一)の山林に二か所、(二)の山林に一か所あるのみで、湧出量も極めて少なく、所在地も辺地であって、土地所有権と別個に温泉権として成立しうるような顕現されたものではなく、経済性が高いわけでもないし、担保取引の対象にされてもいない。また、本件温泉権を独立の物権とする慣習も存在しない。

(二) 本件温泉権が左古家において光間、春吉、民子と順次受け継がれた旨の認定について。

本件温泉権は、その湧出地である(一)、(二)の山林の所有権とともに、高知県幡多郡東山村安並部落(以下部落という。)の権利に属し、これを左古家が借り受けて使用していたところ、前記の経過のとおり、(一)の山林は光間が、(二)の山林は池本熊太郎が、いずれも温泉付で、それぞれ部落から買い受け、その後、前者は、光間から左古丑吉が相続し更に控訴人が譲り受け、後者は、池本から春吉が譲り受け更に控訴人が譲り受けたものであって、本件温泉権を光間から春吉が受け継いだことはなく、原判決は、かつて春吉が光間から(一)の山林の温泉を借り受けていたことと温泉権の帰属とを混同している。

また、春吉が本件温泉権を民子に譲渡したことは十分立証されていないし、そもそも、本件温泉権は控訴人に帰属しているので、春吉が民子に譲渡できる筋合ではない。民子が本件温泉を使用していたのは、控訴人が、春吉や民子らの依頼により、控訴人又はその子が温泉宿を開業するときまでという条件で、本件温泉を民子に貸したからである。

なお、本件においては、泉源地の所有者と温泉権者とが異なる場合の泉源地の支配権について立証がなく、他に特段の事情もないので、温泉権は、泉源地である(一)、(二)の山林の所有権とともに移転したものと認めるのが相当である。

(三) 民子が春吉の承諾のもとに高知県知事から温泉掘さく、利用の許可を受けた旨の認定について。

《証拠省略》によると、一応右認定の事実が窺われるが、《証拠省略》によれば、右許可の申請は、温泉湧出口の土地所有者である控訴人の同意を得ずに、しかも、温泉湧出地とは全く異なる場所を掘さく地としこれを利用するものとしてなされているから、右許可は無効である。のみならず、右許可申請に添付された春吉作成名義の証明願及び土地使用承諾書は春吉の筆蹟でないこと、温泉湧出口の所在を誤記していること、民子が春吉方に居住していて同人の印章を利用できる立場にあったことなどから、民子において偽造したものと推察されるので、春吉が本件温泉権を民子に譲渡したとは到底考えられない。

(四) 笠井渉が株式会社高知相互銀行中村支店から融資を受ける際控訴人が本件温泉権を担保とすることを承諾した旨の認定について。

甲第二〇号証(担保物件提供書)には、右の承諾をした旨の記載があるが、これは笠井の事務員が作成したものであって、控訴人名下の押印も民子が所持していた印章によってなされたものと推察され、控訴人の全く関知しないところである。

2  右の次第であって、本件温泉権は控訴人に帰属しており民子の権利ではないから、被控訴人が民子から譲り受ける契約を結んだとしても本件温泉権を取得するに由なく、また、民子が控訴人から本件温泉を借りたことによる温泉利用権を被控訴人に転貸譲渡したとしても、貸主たる控訴人は、民子と転貸譲渡ができない旨黙示的に了解していたし、仮にそうでないとしても、控訴人の承諾を得ていないから、その転貸譲渡は控訴人に対抗できない。従って、本件温泉権或は利用権の取得を前提とする被控訴人の本訴請求は失当である。

三  被控訴人の主張

(一)、(二)の山林では、それを部落が所有していた当時から、本件温泉が湧出しており、左古家は、五代一五〇年にわたり、部落から本件温泉を賃借し、「奥の湯」と称する保養所を営んでいたから、左古家が本件温泉を賃借利用しはじめた時点で、温泉権が山林所有権から分離独立したものと解すべきである。光間が部落から(一)の山林の所有権を取得し、同山林から湧出する温泉も同人に帰属した形となったが、それは、山林所有権と温泉権とが別個独立のものとして、それぞれに帰属したものである。(二)の山林の所有権は池本が部落から取得したが、その後も、左古家において、同山林から湧出する温泉を利用していたし、また、春吉は、温泉について郡長の許可を受けてその権利証を入手していたのであって、これらは、温泉権が山林所有権から独立した権利であることを示すものである。

四  当審における証拠関係《省略》

理由

一  部落が(一)、(二)の山林を所有していたこと、同山林内の図面イ、ロ、ハの三か所に温泉が湧出しておりこれを部落に居住する左古家が部落から借り受けて利用し旅館業を営んでいたことは、当事者間に争いがない。

二  ところで、被控訴人は、左古光間が右温泉について所有権或は利用権を取得し、それが、光間からその子左古春吉へ、春吉からその子吉本民子へ、更に民子から被控訴人へと順次譲渡され、現に被控訴人の権利に属していて、控訴人に対してその権利を対抗することができる旨主張するので、検討する。

1  《証拠省略》によれば、

(一)  本件温泉は、明治以前のかなり古い時代に左古家が発見開発したもので、近隣の住民から「奥の湯」と呼ばれ、その発見以来、同家において、部落の承認のもとに、前記湧出口から麓の同家所有建物まで相当な距離にわたり竹管を敷設して引湯採取し、右建物で湯治客などを相手に保養所的な旅館業を営み、(一)、(二)の山林の所有権は有しなかったものの、独占的に利用管理していた。

(二)  明治二〇年代前後頃には、左古家の当主は光間であって、同人が右同様に旅館業を営み本件温泉の利用管理を続けていたところ、明治四三年に至って、部落有財産が部落を構成する各戸に分譲されることになり、同年一〇月二四日、前記イ、ロの湧出口がある(一)の山林は光間に、ハの湧出口がある(二)の山林は池本熊次郎にそれぞれ譲渡されたが、その後においても、右利用管理の状態に変化はなく、ハの湧出口の温泉についても左古家の利用管理が続行された。

(三)  光間は、右のとおり(一)の山林の譲渡を受けた前後頃、長男左古丑吉が官吏であって部落に帰住する見込みがなかったことから、二男の春吉に本件温泉の利用管理並びに旅館業を引き継がせ、以来、同人が前同様に旅館業を営み本件温泉の利用管理を続け、大正一四年一〇月一六日光間が死亡し丑吉が家督相続により(一)の山林の所有権を取得したけれども、右利用管理の状態に何らの変化はなく、なお、春吉は、大正一三年五月二九日前記池本から(二)の山林を買い受けた。

(四)  昭和八年二月、控訴人が春吉と養子縁組をするとともに同人の娘直枝と婚姻し、以来、控訴人夫婦も右旅館の営業に従事していたが、その営業の主体はあくまで春吉であって、営業による税金も同人が納付し、控訴人夫婦は従業員的な立場であった。そして、春吉は、昭和二〇年前後頃、右旅館業を休業するに至ったが、前記イ、ロ、ハの湧出口は保存し、引湯施設も維持して、本件温泉を自家用として利用していた。なお、丑吉は、退官して高知市でいわゆる恩給生活をしていたが、幼い子供を養育していたことなどから、生活が楽でなかったため、昭和二四年一一月頃、杉、檜の植林がなされていた(一)の山林を代金一万三〇〇〇円で控訴人に売り渡して、その登記を了し(登記原因は昭和一六年一〇月五日売買としてなされた。)、また、春吉は、昭和三三年一〇月頃、財産分けとして、(二)の山林を控訴人に譲り渡し、その登記を了した。

(五)  春吉の娘吉本民子は、昭和二七年六月二五日夫と死別し、その後子供を連れて実家に戻り飲食店で働いていたところ、春吉は、民子の将来を心配し、同女に本件温泉を利用してする旅館業を再開させそれによって生計を立てさせようと考え、昭和三二年九月頃、同女に対し、本件温泉の利用を許すとともに、旅館の敷地として利用させるため、前記イ、ロ、ハの湧出口から七、八十メートル難れた麓にある中村市安並字成川三三九四番宅地七二・七二平方メートル及び同所三三九五番宅地一三二・二三平方メートルを贈与し、その所有権移転登記を経由した。そして、その後間もなく、民子は、松岡徳安及び安田豊一の協力を得て、右宅地上に同人らと共有の旅館兼居宅並びに浴室など付属建物を新築したうえ、内縁関係にあった右松岡とともに同建物に入居し、本件温泉を利用して旅館業をはじめることとなったが、その営業のためにはかなりの運転資金を要することから、民子と松岡が話し合った結果、融資を受ける便宜上、組合組織で営業するのがよいということになり、右両名及び民子の依頼を受けた同女の妹左古八重子並びにその夫左古忠が発起人となって、同年一二月二七日、高知県知事から、旅館及び温泉営業を目的とする被控訴組合の設立の認可を得、翌三三年四月八日その設立登記がなされた。

(六)  被控訴組合は、前記イ、ロ、ハの湧出口から図面のへ点に至るまで、図面に点線で表示した位置に直径約一・五センチメートルのビニール管を敷設し、同ニ点に右ビニール管を通した直径約七〇センチメートル、深さ約九〇センチメートルのコンクリート製丸型水槽五個、右へ点に右ビニール管を接続した縦約一・八七メートル、横約一・六七メートル、深さ約〇・九メートルのコンクリート製角型水槽一個をそれぞれ設置するなどして、本件温泉を引湯、採取、保存し、理事である民子及び松岡と前記安田が、個人名義で前記新築建物及びその敷地を抵当に借金をして、運転資金を確保し、民子及び松岡を日常の業務執行者として、前記旅館の営業を続けた。なお、民子は、春吉から許容された本件温泉を利用する権利を被控訴組合に出資する旨の意思を有していたものであり、また、民子、松岡及び安田は前記新築建物を、民子はその敷地をそれぞれ被控訴組合に譲り渡し、昭和三三年九月一一日その旨の所有権移転登記を経由した。

(七)  民子及び松岡を中心とする被控訴組合の旅館営業は、当初より芳しくなく、右借金の弁済もできなかったところ、これにつき春吉から援助依頼を受けた笠井渉は、本件温泉に湯治効果があることを体験したことなどから、被控訴組合の営業を拡張発展させ中村市の観光施設たらしめることを計画し、昭和三四年七月一〇日、被控訴組合の現代表者である竹田繁らとともに、被控訴組合の理事に加わった。これより先の同年六月二七日頃、笠井は被控訴組合の営業を続行し及び運転資金を確保するためには本件温泉の権利を明確に被控訴組合に帰属させておく必要があるとの考えから、春吉、民子及び控訴人に対し、民子は本件温泉の権利を四〇万円と評価して出資金の担保として被控訴組合に差入れること、被控訴組合が解散するときは右権利は民子に戻るが、同女が被控訴組合を脱退するときは右権利は被控訴組合に留保され右出資額の払戻しにより清算することなどにつき承諾を求めたところ、右三名はこれに応じ、その旨を記載した担保物件提供書と題する書面(甲第二〇号証)に民子及び控訴人が押印し、また、その際、控訴人は、前記ビニール管が控訴人所有地内に敷設されていることを了承し、そのまま被控訴組合において使用することを認めた。そして、笠井が、取引先の株式会社高知相互銀行中村支店に対し、前記新築建物及びその敷地並びに本件温泉を担保に融資方を申し込み、笠井の保証のもとに被控訴組合が同銀行から融資を受けて、被控訴組合の営業再建の基盤が確保され、以来、被控訴組合の貸借対照表には本件温泉の権利が資産として計上された。

(八)  被控訴組合の営業は、民子が引き続き常務に従事して進められたが、同女は、春吉から明治時代に作成された郡長名義の本件温泉に関する証書をもらい、春吉所有の土地使用承諾書を添えて、個人名義で、高知県知事に対し、本件温泉の湧出地につき温泉法に基づく温泉掘さく及び温泉利用(浴用)の各許可申請をし、昭和三六年二月その許可を受けた(もっとも、右申請は本件温泉の湧出地である(一)、(二)の山林を念頭においてなされ、許可前の県当局による現地調査も同山林についてなされてはいるが、申請書には、申請の目的地として、同山林の隣接地である字栗ノ木山五二九二番三及び同番七の山林が記載されており、これを前提として右の各許可がなされているので、その許可の効力如何は問題であるけれども、右のとおり春吉が申請に際し土地使用を承諾していることは、前記のような経緯ともあいまち、同人において、本件温泉の利用、管理、処分等に関するいっさいの権能を民子ないしは被控訴組合に移転する意思を表明したものにほかならないと考えられる。)。

(九)  その後、昭和四五年に至り、民子及び松岡が被控訴組合を脱退し、被控訴組合の事業は現代表者竹田や笠井らによって「東山温泉」という看板を掲げ続行されることとなったが、右脱退に際し、民子が本件温泉に関するいっさいの権利を被控訴組合において買い取るよう要求したので、被控訴組合は、これに応じ、同年九月民子との間で、右権利を譲り受ける旨の契約を結び、その代金及び民子並びに松岡に対する退職金をあわせたものとして金七〇〇万円を民子に支払った。

以上のとおり認められる。《証拠判断省略》

2  右認定の事実及び前記争いのない事実並びに本件にあらわれた諸般の事情をあわせ考えれば、次のように判断できる。

(一)  まず、本件温泉は、近隣の住民から「奥の湯」と呼称され、その湧出地である(一)、(二)の山林が部落の所有であるにもかかわらず、これを発見開発した左古家が、部落の承認のもとに、明治以前のかなり古い時代から長期間にわたって、独占的に利し用管理、しかも、そのことは、引湯管の敷設及び旅館営業によって、明確に外形的に認識しうるものであったので、その独占的な利用管理は、部落の地域において、習俗的規範によるものとして一般的に承認されていたと推認できるうえ、本件温泉が旅館営業に供せられていたことや後に債権担保にも供せられていることにかんがみ、その経済的価値は高いものであったと認められるから、本件温泉については、遅くとも、光間が左古家の当主であった明治二〇年代前後頃において、泉源地である(一)、(二)の山林の所有権とは別個独立に慣習法上の物権としての温泉権が成立し、これを光間が取得するに至ったとみるのが相当である。光間は、その後、前記イ、ロの湧出口がある(一)の山林の所有権を取得しているけれども、そのこと自体によって当然に、土地所有権から独立した物権たる右温泉権が消滅し或は単なる土地所有権の内容をなすにすぎないものに変質したとはいえないし、光間において、右所有権取得後、その所有権から独立したものである右温泉権を放棄したと認められるような事情も窺えず、むしろ、(二)の山林にある前記ハの湧出口の温泉を含め、従前と全く変りのない利用管理を続行していたのであるから、本件温泉権は、やはり、右のとおり(一)、(二)の山林の所有権とは別個独立の慣習法上の物権として存続していたとみるべきである。

(二)  次に、光間は、春吉に本件温泉の利用管理並びに旅館業を引き継がせているところ、その際、本件温泉権を自己に留保したとは認められないので、本件温泉と旅館業が一体不可分の関係にあること(このことは前記認定の事実関係からして明白というべきである。)をも考慮すれば、本件温泉権は、右引継ぎに伴い、光間から春吉に譲渡され、春吉の権利に属することとなったというべきである。春吉は、その後、前記ハの湧出口がある(二)の山林の所有権を取得しているが、それによって本件温泉権は消滅せずその性質を変ずることもないというべく、その理由は、右(一)の後段に説示したところと同旨である。

(三)  また、春吉は、娘民子の将来を心配し生計を立てさせるため、同女に対し、本件温泉を利用してする旅館業の再開を認め、旅館の敷地用の宅地を贈与し、温泉掘さく等の許可を受けるに際し、自己所有土地を使用することを承諾し、更には、同女が中心となって行っていた被控訴組合の営業につき笠井に援助を依頼したうえ、同人からの本件温泉を被控訴組合に帰属させること等の要望を容れているので、これら一連の事実を総合すれば、春吉は、民子に旅館業を再開させるに際し、本件温泉権を譲渡する意思であったことが明らかであるというべく、同女において被控訴組合へ出資金の担保として本件温泉権を提供した頃までに本件温泉権も春吉から譲渡されこれを同女が取得したものというべきである。

(四)  そして、民子が、松岡らの協力を得て旅館を新築したうえ、被控訴組合を設立し、笠井の援助を受け、本件温泉権を譲渡する契約を結んでその代金等を受領し、被控訴組合を脱退するに至るまでの前記認定の経過によれば、民子は、遅くとも、昭和四五年九月本件温泉に関するいっさいの権利を被控訴組合に譲り渡す旨の契約を結び代金及び退職金として金七〇〇万円を受領した時点において、本件温泉権を被控訴組合に譲り渡した(本件温泉権は前記の通り物権であるから処分権能を伴うものと考えられる。)ものと認められるので、それによって、本件温泉権は被控訴組合に帰属するに至ったというべきである。

(五)  なお、本件温泉の泉源地である(一)の山林の所有権は、光間から丑吉を経て控訴人へ、同(二)の山林の所有権は、部落から池本、春吉を経て控訴人へそれぞれ移転しているが、前記認定のとおり、本件温泉権が光間に属した時代から現在に至るまで、引湯施設の設置及び旅館営業等によって、現実に各温泉権者が本件温泉を採取、利用、管理している客観的事実が存在し、それが本件温泉権を公示する明認方法と認めるに足りる標識であると解せられるから、本件温泉権は、各温泉権者において(一)、(二)の山林のその当時の所有者に対抗できたものであるし、被控訴人においてその現所有者たる控訴人にも対抗できるものというべきである。

3  しかるところ、控訴人において、本件温泉権が被控訴組合に属することを争っていることは、当事者間に争いがない。また、控訴人において、被控訴組合が前記イ、ハの湧出口に設置していた引湯管を除去し、そのあとに自家用の引湯管を設置していることは、当事者間に争いがないところ、これは、被控訴組合が有する本件温泉権の妨害にほかならず、本件温泉権に基づき排除されるべきものである。そして、被控訴組合が前記イ、ロ、ハの湧出口から図面のへ点に至るまで図面に点線で表示した位置に敷設した引湯管(ビニール管)の敷地部分については、前記認定のとおり、控訴人において敷設を了承し、そのまま被控訴組合が使用することを認めているのであるから、控訴人は、その使用を妨害してはならない筋合である。

三  以上によれば、被控訴組合が本件温泉権を有することの確認及び控訴人が設置した自家用引湯管の収去並びに被控訴組合の敷設した右引湯管の使用妨害禁止を求める被控訴組合の本訴請求は、いずれも理由があるから、これを認容した原判決は相当である。

よって、本件控訴は理由がないからこれを棄却すべく、なお、原判決別紙図面を本判決末尾添付図面のとおり改め、それに伴い、原判決主文第三項中「イ、ニ、ホ、ヘ、ト、チ及びハ、ホ、ヘ、ト、チ」とあるのを「イ、ニ、ホ、ヘ及びハ、ホ」と訂正することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 宮本勝美 裁判官 山脇正道 川波利明)

〈以下省略〉

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